2010年12月18日

KT・ZMICO証券でタイ株投資再開 1.申込書請求

バンコクの中華街ヤワラートへ漢方薬の原材料を買いに行った帰り、
つい間違ってウッカリ4番のバスに乗ってしまい、
クロントーイで下車する事になった。

チャイナタウンに住んでいた頃、4番かエアコンの7番に乗って
タニヤやパッポンへ行ってたクセが未だに抜けないのか わーい(嬉しい顔) 
(シーロム・タニヤから乗る時には間違える事は無いから、
 チャイナタウンから乗る時は無意識に4番か507番に乗ってしまうのだろう)


ま、
これも神のお導きだろうと思い、
久しぶりにクロントーイ市場を見てみた。

しかし・・・

分かっては居たが、目新しい物など何もない。
しかも臭い、汚い、危険の3Kだ バッド(下向き矢印)

・・・

フラッと歩いて歩道橋を渡ってみたら、
SETの建物らしき電光掲示板が見えた。

SETとは
The Stock Exchange of Thailand の略、
つまりタイ証券取引所の事だ。

(ちょっと見学してみようか・・・)

と思い、
SETに向かって歩きながら掲示板を見ていると、
SET指数が1000を超えていたのでビックリした。

ちなみにクイーンシリキットのSETには
オフィスとミーティングルームがあるだけで、
トレーディングフロアは無いと言われた。
(取引フロアはウィッタユにあるとの事)

そういえば、過去数ヶ月の間に一度、タイ株の某3銘柄を株価だけ調べてみたが、
俺が約4年前にメルマガで推奨し続けていたBANPUはムチャクチャ上がっていた。

俺が目を付けた2006年1月には126バーツだったのが、
今は800バーツを超えていて(2007〜8年にも超えていたかも)
為替の円高を見越してタイ株投資を中断していた俺にはショックだった。

2007年7月が円安のピークで、以降は予想通り円高に転じたのだが
ここ最近はタイバーツに対しては円高はあまり進んでおらず、
逆に円に対してバーツが健闘している。

2009年11月だっけ?10000円が3900バーツ近くまで行ったが、
最近は米ドルが弱いだけで、タイバーツは3600前後だ。

外国からの投資のせいでバーツ高になっているのは
調べたワケではないけど、十分に説得力ある説明だ。
(その憶測内容は別途、後日にでも書くかも)

そこで、
有望銘柄の株価変動を調べてみた。

まず、
未だに市場が効率化されてないように思えた。

そして、株式投資の初心者が最初に見る、
PERのような基本的指標を見ただけでも、
割安銘柄がゴロゴロある事が分かる。

又、そこそこの株価水準にある銘柄でも、
ジムロジャーズ言うところの「ヒステリー」のミニ版がたまに発生するので、
チョコチョコ儲ける機会も多い。


ちょうど米ドルの80円割れ寸前、ギリギリで介入が入って以後、
84円台までドル円が戻し、暫く円高トレンドは無いと思ったので、
タイ株投資に踏み切る決心がついた。

以前、「ドル円が80円割れる迄、タイ株投資はしない」
と書いたが、それは撤回する。 
(簡単に頭を切り替えられる人間でなければ投機家は務まらない わーい(嬉しい顔) )

で、
旧SEAMICO証券、現KT・ZMICO証券に口座開設をWEBで申込んだ。

2007年に俺はシミコ証券の口座を解約してしまってたのだ。

株高の”ほぼ”ピークで株を全部売って全額出金し、
円安の”ほぼ”ピークで全額を日本円に両替したが、
全額出金により、口座は自動的に解約されるのだった。

また1から口座開設は面倒だが、仕方ない。

KT・ZMICO証券のサイトから申込んだ3営業日後に申請書類一式が届いたが・・・

KTZmico.JPG

全部タイ語で書かれた書類だった・・・バッド(下向き矢印)

まあ、書類の内容はタイ語でもだいたい理解できるのだが、
大金を預けるための書類だから、一つでも間違いがあるとマズイ。

いちいち辞書を見ながらの記入となってしまった。

尚、香港のフィリップ証券の口座でもタイ株取引は可能だが、
約定したかどうか当日深夜11時(日本時間)にならないと分からないし、
手数料も当然ながらKTZMICO証券より高いので不便で不利だ。

日本から金を持って来て、
スーパーリッチで両替して口座に入金するほうが得だろうし。

さて、どうなるかな〜 ぴかぴか(新しい)

明日につづく




posted by フーフー岡村 at 01:00| Comment(0) | タイ株投資 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月15日

プノンペンからの旅行ルート

カンボジア旅行の10年前の状況。
引き続き、昔の手帳からの転載です

<プノンペンから>

−1.
キャピトルのバスでモックバイ経由でベトナムのホーチミンに抜ける。
(当時で6ドルくらい?だったと思う。忘れた)

−2.
コンポンソム(シアヌークビル)でのんびり過ごすのも可能。

−3.
プノンペンからシアヌークビルに行き、
そこから船に乗り、ココン経由でバンコクへ帰ることも可能。

当時、
バンコクプノンペンは、陸路オンリーの旅はもちろん、
コッコン回りの「バス+船の旅」でもプノンペン当日着は無理だったが、
逆のプノンペンシアヌークビルバンコクは、
朝一でプノンペンを出発すれば、その日の夜にバンコクに到着できた。

車だとケツ痛くなるが、船なら多少揺れるだけなので
ひどい船酔いする人以外にはココンルートは人気があった。
日数が短縮できるのもメリットの一つだったしね。

但、シアヌークビルまでのバス代(3ドルかな?忘れた)
船の運賃が15ドル、港から国境までのモタサイ、
タイ側に入ってからのソンテウやバンコクまでの運賃などで、
陸路のルートより割高だった。

なお、数年前からは、プノンペンコッコンは陸路で行けるようになったが、
山賊が出るような所を通るのは、昔はマトモなルートではなかった。

−4.
陸路でポイペトへ戻るなら、まずは
シェムリアップまでキャピトルのバス(当時で7ドル)か、
バッタンバンまでのバス。ピックアップやカムリのタクシーも有り。
バッタンボンへのバスはシェムリアップ行きより1〜2ドル安かった。
(カムリタクシーの乗り心地が一番マシだったね。白タクだけど)

いずれのルートでも、中継地点のどちらかに宿泊する必要があった。
幹線道路でさえ土の道で、凸凹がひどくてスピードを出せないからだ。
(バッタンボン・ルートはまだマシだった。それでも土の道だったけど)

朝7時頃にプノンペンを出発しても、
バッタンバンやシェムリアップに着いたら日が沈んで暗かった、
そんな記憶しかないな〜・・・。

そして、翌日それぞれの宿泊地点から、
ポイペトまでのピックアップ・カムリタクシー等に乗り換え。

シェムリアップポイペトのツーリスト用バスは5ドル。

シェムリアップカーオサーンだと8ドル、値切れば7ドルだったらしい。
俺はカオサンには用がないので、ポイペトで下車していた。

このバックパッカー用バスは
アランヤプラテートフアラムポーン行き列車に間に合うようになっていて、
タイ入国してコンビニ横に行けば、ソンテウが待っている時間帯だった。

多少イミグレが込んでいても間に合うように出発していたと思う。


また、逆にカオサンシェムリアップへのツアーバスは
当時150バーツと破格の安さだったが、チャイナタウン組には不評だった。

と言うのも、
提携のショボいゲストハウス前で降ろされるのがお決まりのパターンで、
カオサンバスの下車地点(終点)から移動できないよう、
わざと夜遅くシェムリアップに到着するのが常套手段だったらしい。
(俺は乗った事がないけど)

ちなみに逆のプノンペンシェムリアップの場合、
キャピトルバスと提携のゲストハウスは比較的良いもので、
タケオゲストハウスより遥かに綺麗で居心地良く、かつ、宿代は同等だった。

こうやって振り返ると、当時はポイペト〜プノンペンが10ドル以上。

外人ツーリスト用の安いバスでガタガタ道を1泊2日で、
しかもケツ痛いのを我慢しながらで12ドル。しかも宿代も必要。

現在は150〜300バーツ(5〜10ドル)、約8時間で着いてしまう。
道路も良くなってバスもVIP仕様(並み)も存在し、快適そのもの。

原油価格が当時の4〜5倍に上昇しているのに、速く快適な旅で、
途中で宿泊する必要がないからか、
却って安くなっているというのがインフラ整備の賜物。

ま、その分、他の物価が上がっているんだけどね。

−5.
どれも嫌だという人は、プノンペンから飛行機でバンコクへ。
当時で80ドルくらいだったと思う。
(空港までのモト代値切って1ドル+空港税20ドル別途必要)


<その他>

両替レートはセントラルマーケット周辺の両替屋が良かった。
旅行者にはキャピトル近くのオルセーマーケットが便利。
キャピトルゲストハウスで両替するのはあまり良くなかった。


以上、当時のメモから転載し、記憶を元に書き加えたので
間違っている部分もあるかもしれない。あしからず。

とにかく現在は、
10年前に比べると楽で便利かつ安くなった。

更にその10年前というと、話を聞く限り悲惨だったが、
俺はその頃の事は知らない。

1993年頃だったかにプノンペンに渡った某さんが
ジュライ組の「プノンペン開拓のパイオニア」と言われているが・・・

おわり


ラベル:プノンペン
posted by フーフー岡村 at 01:00| Comment(3) | カンボジア旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月14日

タイ〜カンボジア陸路旅行のプラン例

バンコク〜ポイペト〜カンボジア各地への主要ルート
(西暦2000年頃の話)

<1.ポイペトから>

シェムリアップまでピックアップ(今ならバスがあり楽)
 
シェムリアップでアンコールワット観光
 
シェムリアップからプノンペンまでスピードボート。
トンレサップ湖を下る高速船の7時間の船旅だが、楽しい。

当時のスピードボートは正規料金25ドル、
タケオゲストハウス等で買えば23ドルだったかな?

逆にプノンペンからの上りは少し安かった。
キャピトルGHなら1ドル安く、22ドルだったと思う。
(たぶん、もっと安く買える所もあったと思う)

シェムリアップ港の近くにはスラムがあり、
ゾンビのように彷徨い歩く現地人がウジャウジャ居る。

船が出航して暫くすると、
船上生活者や船上小学校などを見る事ができる。

船のキャビン内に座れない人は、屋根の上で座ったり寝転んで過ごす。

確かトイレは船内にあったと思うが、
乗客がギッシリで便所まで行くのが億劫。

俺は船尾で小便した事があるが、風が巻き込んで竜巻のようになり、
自分にかかったので途中でやめたって事もあった。
 
船がプノンペンに到着したら、
キャピトルゲストハウスなどの客引きが居るので心配なかった。
(以上。たぶん今もスピードボートは運航していると思う)


<2.プノンペン観光>

・キリングフィールド
・トゥールスレン


以上2ヶ所はプノンペンでは男女とも必見のスポットだ。

悪名高きポルポトは、中国から武器供与など様々な支援を受けていたが、
そのポルポトの残虐行為の跡を見て、背筋が寒くなったのを今でも思い出す。


・王宮周辺や川沿いエリア

暇なら行けばよい、という程度のもの。


・シューティングレンジ

要するに射撃場だ。

各種拳銃、ライフル、機関銃から
手榴弾やロケットランチャー(バズーカ砲)まで撃てる。

但、バズーカ砲は前日までに予約が必要。
しかも1発200ドルで、かつ、遠くの山まで車に乗って行かねばならなかった。
軍の演習地の真横にある射撃場では(隣接しているのだ がく〜(落胆した顔) )
さすがにロケットランチャーをぶっ放すワケにはいかないという事か?
(もしかしたら軍の経営かもしれないが・・・)

銃を撃っていると、軍服着たオッサンが車に乗ってやってくる。
そしてトランクを開けると、銃の弾が入った箱が満載だ。

射撃場の従業員が箱を下ろして倉庫に運ぶ。

横流し屋らしきオッサンは、下っ端従業員にコーラの空き缶を並べさせ、
まだ下っ端従業員が射的のすぐ傍にいるのに撃ち始める。

「撃たれる がく〜(落胆した顔) 」

と思ってか、
恐くて走って戻ってくる”いじめられっ子”の下っ端従業員を見て、

(貧乏は嫌だ・・・ バッド(下向き矢印) )

と強く思ったものだった。


・スワイパー
・70番街
・63番街
・マティーニ


この4箇所は、
男性なら一度は社会勉強のために見ておくべき場所だった。
買う買わないは抜きにして、カルチャーショックは必至。


尚、スワイパー観光は昼間が安全だった。
暗くなるとバイクに乗った強盗が頻発。
(現在は壊滅状態にあり、行く価値なし)

モタサイでキャピトルからバスターミナルまで行き(1000リエル=0.25ドル)
そこからウドン行きバスに乗ってスワイパー付近で下車。
(エアコンバス代1500リエル=15バーツだったかな?忘れた)

又は、バイタクで日本橋まで行き、
橋の下から発車する「バイクが引っ張るリヤカー」に乗り、
有名なスワイパーの看板が見えたら運転手に言って止めてもらう。

ドナドナ気分が味わえる情緒たっぷりの乗り物だったね。
(500リエル=5バーツ)

また、一時的に存在した行き方としては・・・

2001年6月にはモニボン通りを走る市内バスが運行開始したが
乗客がほとんど居ないため、2ヶ月で運行中止、廃線になった。

そのバスに乗り、モニボンから日本橋の方へ曲がった所で下車し
(というか、そこがその路線の終点だった)
歩いて日本橋まで行ってリヤカーに乗り換えるのが一番安く、かつ、情緒があった。
(このバスの下車地点からは70番街まで徒歩でも行けた)

市内バスは当初、800リエルでスタートしたんだったかな?
で、誰も乗らないので600に値下げしたんだったと思う。

で、ほどなく1ドルバスという
「スワイパー行き専用ロットトゥー」が運行するようになり、
いちいち公共交通機関を乗り継ぐのが面倒なので大盛況になった。


また、63番街へはキャピトルGHから徒歩5分程度だが、
明るいうちはともかく、暗くなったらバイタクが無難だった。
(当時で500リエル)

ほんの5分ほど歩いているうちに
強盗に囲まれてヒドイ目に遭う人が多かったこと。

強盗は拳銃持った単独犯も多かったが、
ナイフの強盗は3人組というのも多かった。

前方から一人来て、ヤバイと思って振り向くと、
後方には既に2人組が居て、挟み撃ちにされるパターンだね。

また、マティーニからお持ち帰りする場合、
モタサイ3ケツになるんだけど、そこを狙われるのも多かった。

バイクは「運ちゃん+男+女」の3人乗りだと重くてスピード出ない。

拳銃持った強盗は一人とか二人だから、軽いのでダッシュが効く。

アッという間に追いつかれ、前に回られて急停止させられた所を
拳銃突きつけられてホールドアップ。

有り金全部を渡して済む事が多いのだが、
中には拳銃のグリップで頭を殴られる人も居た。
(当然というか・・・頭から血が出る どんっ(衝撃) )

強盗に遭った時のために、財布には20ドル程度入れておき、
残りは全て宿のどこかに隠しておくのがセオリーで、
3ドルや5ドルしか持ってなければ、腹いせに殺されかねない。
(今は強盗もほとんど出ないらしいけどね)

あんな所に住んでたら、逆に健康的な生活パターンになる。
一人だと、夜出歩くのが億劫になってしまうのだ。

或いは、複数でツルんで遊びに行くようになる。

しかし、当時はマジで凄かった。

スワイパーはビックリするような所、
70番街は呆れるような所、
63番街は感動する所、だったね。

つづく


posted by フーフー岡村 at 01:00| Comment(2) | カンボジア旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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